日時: 2011年7月30日(土)13:30-17:00
会場: 青山学院大学(青山キャンパス)総研ビル11階 第19会議室
シンポジウム「異文化コミュニケーションとしての翻訳」
プログラム内容
講演
・De Wolf 講師(慶應義塾大 名誉教授):
異文化と翻訳の問題
・野原 佳代子 講師(東京工業大学 准教授):
翻訳を記述する-科学技術コンテンツなどを中心に-
・秋元 実治 講師(青山学院大学 名誉教授):
一英語学者から見た翻訳(論)-平子義雄氏の『翻訳の原理』に基づいて-
講演「異文化と翻訳の問題」
Charles De Wolf 講師(須田狼庵)(慶應義塾大学 名誉教授)
「山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露」 『源氏物語 帚木』
A: Smoking and drinking killed my favorite uncle.
B: That’s terrible! I hope the police arrest them soon!
文学翻訳は、言葉の変化だけではなく、風習や思想の変化の対象にもなる。二・三十年前まで、「日本人論」という現象が盛んであった頃、日本人しか理解できない日本語で描かれている日本文学を外国語にもともと翻訳できないはずだというような意見に絶えず直面することになっていた。しかし現在は、対照的に異なる問題が論じられているような気がする。「グローバル化されている世界では、日本人の作家はどれほど『日本的』であるか。」「影が薄くなったと言われている日本の現状があって、作家、翻訳者、出版社などは、日本文学に対して国際的注目を高めるために、どうすればよいのか。」
翻訳者の私にとって、この時代思潮(Zeitgeist)の変化は、ありがたいことである。翻訳の難題について論じても、日本人論風の「懐疑論者」と間違えられているという心配がほとんどなくなったからである。
今回は、最初にJ.C. Catfordが1965年の論文で「翻訳不可能性」をlinguistic untranslatabilityとcultural untranslatabilityを二分する説を再検討して、元来言語学の用語として使われていたmarkedness(有標性)という概念を翻訳の言語的な問題に適用した。言語の構造的特徴は、通常では「無標」として、翻訳の問題にならない。しかし、言葉の遊びや言葉の間違い、方言の違いも含めて、言語の使い方が意識的な話題になると、「有標」である。
最後に、文学とその文体とその翻訳に影響を与える時代の変化とその価値観について簡単に述べた(例えば、「欽定訳『源氏物語』」は考えられるだろうか)。
資料は、主に古典文学(『源氏物語』と『今昔物語』)であるが、近代・現代文学の例も挙げた。
講演「翻訳を記述する -科学技術コンテンツなどを中心に-」
野原 佳代子 講師(東京工業大学 准教授)
自然科学・技術分野のジャンルでは、翻訳の問題や翻訳者の葛藤は生まれにくいとされている。とくに技術翻訳分野は単純、機械的であるとの印象から学術界では「醜いアヒルの子」扱いされてきた(Byrne 2006)。本発表においては、表出機能が優勢な文学性の高いテキストに比べ、科学技術系のテキストは翻訳不可能性のような翻訳特有の問題に直面することが少ない(Reiss 1981)という言わば「定説」をとりあげ、異文化コミュニケーションの視点からそれを検証した。
材料は科学技術分野、とくに3.11東日本大震災とそれに続く福島原発問題をめぐる科学的事象に絡む記事や会見記録などからとり、それがある意図を満たすためのコミュニケーションとして機能しているかどうかの分析・記述を試みた。
ジャンルによる翻訳プロセスの違いを、翻訳者によることばへの気づきや迷いの様子を記述することで実験調査する手法があるが、科学記事などの場合、内容の理解が即座に表出につながり葛藤が少ないことが指摘されている。発表者は、翻訳者の中で科学的用語と意味、その訳語とが機械的な対応を形成していることがそのジャンルの翻訳を型にはめ、受け手の多様性に対応できなくなっていると考える。そのことが翻訳を受け取る側と内容の間の断絶を生み、コミュニケーションの成立を阻害しているのではないか。
翻訳者による理解、翻訳研究者による理解と、受け手の理解+受け取るインパクトとを明確に分けて考えることが必要であろう。
日本語・英語間の言語間翻訳だけでなく、専門日本語としての科学技術日本語と一般の日本語の間の言語内翻訳についてもふれ、危機管理として昨今その必要性が語られることの多い科学技術コミュニケーションの実態についても、翻訳理論をツールとして考えた。
講演「-英語学者から見た翻訳(論)-平子義雄氏の『翻訳の原理』に基づいて-」
秋元 実治 講師(青山学院大学 名誉教授)
本発表では、故平子義雄氏著『翻訳の原理』をまず紹介し、次いで、一英語学者の観点から、その内容についてコメントした。本書は第1章の翻訳者の地位から始まり、第6章のテクストの種類に至るまで多様な内容を含んでいる。その中で最も大きな論点は文化の相違を翻訳にどのように反映するかということであり、このことはいわゆるSapir-Whorf仮説をどのように捉えるかという問題に関わるものである。この問題はとりもなおさず、異文化コミュニケーションとしての翻訳の問題であり、A言語からB言語へ翻訳する際、翻訳者が必ず直面する難問である。ここでは主として日本語、英語間に見られる語彙、文法、意味に見られる相違が翻訳にどのように表されるかという点に焦点をあてた。具体的には日本語と英語間の構造上の違い、人称と時制および代名詞と受動態等、日本語と英語に見られる翻訳上の問題点を考え、さらに英語の数(単数、複数)や自動詞・他動詞の区別をどのように翻訳上、訳し分けられるか、といったことについても考察した。
なお、参考までに、多少古いがNida and Taber(1969)の提案するanalysis→trasfer→restructuring→testingという翻訳の手順も紹介し、併せて翻訳一般の方法についても言及した。